2025-02-21
朝日産業株式会社 廣岡社長 インタビュー
朝日産業株式会社
代表取締役社長 廣岡 延博 様
代表取締役社長 廣岡 延博 様

- もうすぐ創業100周年を迎える御社の歩んできた歴史を教えてください。
- 1927年(昭和2年)に創業者が造材業を始めたのがきっかけです。ちょうど隣町が夕張市なので、山に行って木を伐採し、枝を払った丸太を栗山の里まで下ろしてくるような造材業を個人事業主として始めました。その後1953年(昭和28年)5月に朝日産業という屋号でこの事業を会社としてスタートしまして、2代目社長の頃に、近くに製材工場を構えて、木を生かして製材業も始めました。その中で色々な種類の製材を扱っていましたので、そういったものを活かしてこの2代目が2級建築士の資格をとって、木造住宅の建築も始めました。私の父でもある先代の3代目の頃はちょうど高度成長の時代で、宅地造成等も盛んな頃だったので、先代社長自らが宅建の資格を取って、栗山町を中心に20~30区画の造成をして宅地分譲をしていました。住宅建築もピーク時には年間30棟ぐらいは扱っていました。住宅建築数が減少してきた後には栗山町の公共事業をやるようになりました。私はもともとハウスメーカーで勤務していて、戻ってきてからアメリカのプロパティマネジメントとかアセットマネジメントの資格を取ったのですが、その中でアメリカの先生から一番儲かるのは自分で持つことだとアドバイスいただき、そこから賃貸マンション事業を始め、自社で建てて運用しています。先代の後半からは住宅建築よりは公共事業と賃貸マンション事業が中心です。
色々な経営者の方がいらっしゃるので一概には言えないですけど、私が先代から言われたのは、新規事業をもし考えたときに畑違いのことはするなということです。もし、新しい事業をやるとしても、建築と不動産の様に必ず今の事業と関連のあるところに留めなさいということで、それ以外の分野には手を出すなと。先代は40年近く社長をし、経済の好況も不況も経験しているので、私もそのあたりは先代の教えを守っています。
- 事業を引き継いだときに一番苦労したことは?
- 13年前のことですが、先代社長の父が突然体倒れて救急車で病院に運ばれました。緊急手術を受けたのですが、目が覚めたときには言葉も話せなくなっていました。一番つらかったのは父本人だったと思いますが、私にとっても大変な状況でした。父に書類の所在を尋ねても、耳は聞こえているようなのに「ああ・・・」としか返せず、意思疎通ができません。会社の重要な書類がどこにあるのかも分からず、引き出しをすべて開けて探し回るしかありませんでした。その時期が最も大変でしたね。実務が出来ない状態だったので、入院した日から私が業務を引き継ぎました。ただ、幸いなことに、倒れる1ヶ月ほど前に「もし俺に何かあったら困るだろう」と代表取締役社長と副社長の共同代表として登記を済ませていました。そのおかげで銀行対応なども、私が単なる取締役だった場合とは違って代表権を持っていたことで、スムーズに業務を引き継げた点は、本当に助かりました。また、私は前職で株式上場とIR(投資家向け広報)の業務を担当していました。前職でそうした実務を経験できたおかげで、会社の規模は違いますが、経営の基礎を学ぶことができました。もちろん、最初は書類の所在すら分からない状態でしたが、経営に関してはそこまで大きな不安もなく、引き継ぐことができました。こうして今日まで会社を続けてこられたのも、過去の経験があったからこそだと思います。
- 座右の銘、またはご自身のモットーとされていることを教えてください。
- 座右の銘というほどではありませんが、青年塾の「誓いの言葉」にある「みんなが幸せになってこそ、自分も幸せになれる」という一節を大切にしています。ビジネスでも、自分のことだけを考えていてはうまくいかず、お客様を第一に考えることで、最終的に自分にも恩恵が返ってくると考えています。
- 経営に関してこれまで最大のピンチはありましたか?またそのピンチをどのように乗り越えたのか教えてください。
- 父から事業を引き継いだ直後、隣町の公共事業入札に始めて参加しようとしたところ、それをよく思わない地元の既存業者から圧力を受けたことがありました。しかし、先代とその業者には面識があったため、正月の挨拶を口実に直接訪問すると、特に大きな問題にはならず解決しました。これも前職時代にこのような経験をしていたことが役立ち、結果的にその業者とは良好な関係を築けました。入札自体は見送りましたが、大事にならずに済んでよかったと感じています。
- 経営者として尊敬している方、または師匠として仰いでいる方は、いらっしゃいますか?
- 青年塾の塾長上甲晃さんです。ルーツは松下幸之助さんですけど、この二人を尊敬しています。特に上甲さんには現在も相談に乗ってもらっています。私も青年塾に塾生として参加していたが、10年後には塾頭として取りまとめ役を務めるようになりました。その際、上甲さんから様々なことをご指導いただきました。松下政経塾の塾頭だった上甲さんは、松下電器の次期社長候補と言われた方であり、営業力やマネジメント等多くの事を教えていただきました。
- 御社の顧客や取引先様の特徴を教えてください。
- 今は建築事業の約9割は栗山町の公共事業で住宅建築はごくわずかです。公共事業は安定しており、4年前から栗山町建設協会の会長を務め、地元業者への発注を働きかけたり、町長とともに東京へ陳情に行ったりしています。人口約1万人の小さな町ですが、町長の尽力もあり公共工事の発注額は比較的多く、地元業界全体を助けていただいています。
また、元ファイターズの栗山監督の住宅建築にも関わりました。きっかけは青年会議所の活動で、たまたま同じ名前という事でお声掛けをし、監督も町を気に入って定住してくださることになりました。最初にログハウスを建築し、その後自宅が博物館のようになり、寝室がなくなったため、もう一棟建築しました。監督とは今でも交流があり、WBC優勝時もお祝いのLINEを送ったら即返信があり驚きました。最近も会社に来てくれて、社員と一緒に写真を撮ってくれていました。
- 趣味は何ですか。またその魅力についても教えてください。
- スキーが好きで、大学時代は全国大会に出場し、スキー部で準優勝も経験しました。インストラクター資格も取得し、就職もスキーが縁で決まりました。就職活動で伺った会社の人事部長がスキーのインストラクターの資格をお持ちで、面接はほぼスキーの話。社長もスポーツマンで、そのご縁で入社が決まりました。結婚もスキーが縁で、現在4人の娘がいますが、末娘は小学生でスキー1級を取得するほどの腕前です。子供達にも年を取ってからでは体を鍛えたくても鍛えられないので、若い頃は勉強はほどほどで、スポーツをやりなさいっていう話はしています。
- 今後の目標またはチャレンジしたいことを教えてください。
- 現在、4つの会社を経営し、年商は合計で約10億円ですが、グループ全体で100億円を目指すことを大きな目標としています。5年前には近隣の電気工事会社をM&Aするなど、成長戦略を進めています。現状維持は退化だと言いますが、あと1年半で創業100年を迎えるため、この流れを絶やさず、進化を続けることが重要だと考えています。ただ先程も言いましたが、畑違いの事業には手を出さず、建築・不動産分野の中で新たな取り組みを模索しながら、目標達成を目指していきます。